Yamazaki Bldg. 2F, 1-19-27 Minami-Horie, Nishi-ku, Osaka, JAPAN

Status: Gallery

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絵画の証 Ⅲ - 東海版 -
2003年、2004年にGallery Yamaguchi kunst-bau(大阪)による企画のもと、現代美術としての絵画の可能性を追求すべく開催されたグループ展「絵画の証」。

約17年の時を経て開催される本展では、絵画における芸術の本質=証を探し求めようとする実験的な試みとして、浅野弥衛、国島征二、鈴木淳夫、山田純嗣が共演。東海地方を活動拠点とする中堅~物故作家4名をご紹介します。

[出展アーティスト]
浅野弥衛 | Yae Asano
1914年鈴鹿市生まれ。独学で絵画制作を開始し、59年から画業に専念している。桜画廊を中心に発表を続けた。96年没後も各地で展覧会が開催されている。「引っ掻く」技法を独自に追い求めた。

国島征ニ | Seiji Kunishima
1937年名古屋市生まれ。米ロサンゼルスで、約20年間の作家活動の後、岡崎市の山の中で制作をしている。桜画廊、ノブギャラリーで発表し、現在も様々な画廊で展覧会を重ねている。 作品は主に「wrapped memory」と「積層体」のシリーズがある。「wrapped memory」シリーズは1969年ごろから開始され、現在まで自身の日記のように継続されている。「積層体」シリーズはアルミニウムを積層させ、石を包み込んだり、黒御影石やプロンズの枝を組み合わせたりしている。

鈴木淳夫 | Atsuo Suzuki
1977年、愛知県生まれ、在住。静岡大学大学院教育学研究科を修了。
自身の作品を「彫る絵画(Carved Painting)」と称し、幾重にもパネルの上に塗り重ねた絵具の層を彫刻刀で削り出すことで様々な図柄を描く作風で制作を重ねている。
鈴木が作り出す画面は作家の息づかいすらも感じ取れる程の鮮明な行為の痕跡として鑑賞者に提示され、同時に「彫る」という反復行為によって顕在化した絵具の断層は、作家が作品と対峙した膨大な時間を物語っている。

山田純嗣 | Junji Yamada
美術史上の名画をモチーフに空間構造を読み解き立体化後に撮影、そこへ細密なドローイングを銅版で重ねていく独自の技法「インタリオ・オン・フォト」で表現される作品は、三次元と二次元、現実と虚構といった性質の違う要素を共存させ、絵画とは何かを問う作品となっている。ストイックさとポップさを併せ持つ独自な作品世界は、根強い人気を誇りファンも多い。名古屋市美術館のカレンダー制作や公開セミナーでの実技講座、アーティストトークに参加するなど社会的活動も行う。
2021-08-28

Information

URLhttps://tezukayama-g.com/exhibition/the-proof-of-paintings
Address550-0015 大阪市西区南堀江1-19-27 山崎ビル2F

Other

栗棟美里 個展「あなたはこの世界にいるかもしれない。もしくはいないかもしれない。」
1988年生まれの栗棟は京都精華大学及び大学院で版画を学び、現在は出身地である神戸を拠点に活動しています。 大学在学中より作家としての意識を強く持ち活動してきた栗棟は、自らが撮影した写真を支持体とし、その上から描画を施すミクストメディアの手法で、美・存在・時間・生命といったものの本質を問い続けてきました。 2018年の個展「Still Remained」では、視覚による認識の本質・美術の在り方/見方を再考するというテーマのもと、様々なメディアを介し、消費されていったイメージを素材とした作品群を発表しました。これは栗棟による刹那的なイメージ・情報を一度破壊し、美術作品として昇華させることは可能か?という検証でもあり、急速化する情報社会の中で「見る」という行為の本質とは何かを鑑賞者へ問う試みでもありました。 今展でも、その問いに対する栗棟の姿勢が見て取れます。 昨今、オンライン上でのコミュニケーションが急速化する中、液晶画面を介して人と人とが対峙する場面が日常的となりました。時間・場所を問わず対面できる環境が整ったことで新しい生活様式が生まれ、便利になった反面、ある種のリアリティの欠如を感じずにはいられない、と栗棟は言います。 3年ぶりとなる今展では、写真史の中でも普遍的なテーマである「ポートレート」というフォーマットを軸に、実在しない人物をモチーフにした作品群を発表します。同展覧会のタイトルにもなっている大作「あなたはこの世界にいるかもしれない。もしくはいないかもしれない。*1」を中心に、約17点の新作を展覧いたします。この機会に是非ご高覧下さいませ。 *1: 同作品が「Kyoto Art for Tomorrow 2021 – 京都府新鋭選抜展 -」において、産経新聞社賞を受賞。
西本剛己 個展「NEOLOGISM 21714-21743」
西本は1988年に筑波大学大学院芸術研究科を修了後、アーティストとして制作活動を始めます。 翌年に開催された初個展「NEOLOGISM/ネオロギズム」でのデビューから現在に至るまで、一貫したアプローチで制作を続けています。 哲学的思想からインスピレーションを受け、ビジュアル化する西本の作品は独創的な視点を内包する作品であるため、ある種難解にも感じますが、作品によって構成された空間は圧倒的な存在感を示し、鑑賞者の記憶に強く残ります。 今展の展覧会タイトルは、西本がアーティストとしてキャリアをスタートさせた1989年の個展と同じ「NEOLOGISM/ネオロギズム」です。NEOLOGISM(ネオロギズム)とは「教義の新解釈」あるいは「人がまゆをひそめるような新造語」を指す言葉であり、精神医学では分裂症(統合失調症)の患者にみられる「言語新作癖」にも当てはまります。「その不条理な行為は芸術の欲動と限りなく近い」と西本は言います。 昨今の世界を覆う不条理な状況を西本なりに解釈し作品に込めたメッセージを、鑑賞者も各々の視点から考察して頂ける機会になればと思います。 今展では、6mを超える巨大な立体作品など、新作を中心とした約10点の作品で構成した壮大なスケールでのインスタレーションを発表いたします。是非、この機会にご高覧下さいませ。 [アーティスト・ステートメント] コロナウイルスが拡がり始め、あちこちの受付けやレジに飛沫防止シートが使われるようになったある日、人の動きやエアコンの風でわずかに揺れる、ビニルシートの反射を不思議に美しいと感じた。 このシートによって私たちはお互いに遮断されると同時に防護されており、声は聞きづらいが聞こえないわけではなく、相手は滲んで見えるが見えないわけではない。そして私と相手との間に、これまでの日常で見たことのない、揺らめく光の反射が出現する。今やそれがおよそあらゆる場所に発生している、この煩わしく不条理な日々の風景に、何か新しい未来、あるいは真実としての摂理を感じた。 芸術にとっての美とは、常に畏怖の念と表裏一体であるべきだ。いつもそんな風に考えている私にとって、日常がこれほど示唆に富むものに感じられたことはない。コロナ「禍」と感じながらも、自然界からの敬虔な「戒め」の声に耳を傾け、その意味を知りたがる自分がいる。 数年前まで、皆既日蝕をテーマにした作品を作っていた。太陽が月に隠されると、普段は目に見えない太陽のコロナが現れる。本物の皆既日蝕を観たときには、その銀色の輝きに足が震えた。コロナとは「王冠」のことだ。人智の及ばない状況にまつわる形態に人が名付けた、その同じ名に導かれるように、今回の作品たちが一つ一つ私の頭の中に現れ、私を動かして実在となった。 ネオロギズム(NEOLOGISM)とは「教義の新解釈」という意味の言葉だが、精神医学では分裂病(統合失調症)の患者にみられる「新語造語癖」のことを指す。その不条理な行為は芸術の欲動と限りなく近いように思われる。21714-21743という数字は、今回の個展会期の、私が生まれから経過した日数を示している。
上原浩子 個展「境界より」
1985年、群馬県に生まれた上原は、2012年に京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了。その後も現在に至るまで京都を拠点に制作活動を続けています。 大学院修了後はそれまで制作していた絵画作品と並行しながら、立体作品の発表も精力的に行うようになり、自身の表現の幅を広げてきました。絵画制作で培った描写力と以前から興味があったと話す日本古来より伝わる自然の中に精霊や神が宿ると言われるアニミズムの思想に感化され、一貫して植物と人間の融合をテーマに制作しています。モチーフとされる生き物の表情は穏やかで、繊細で柔和に表現された肌からは、神々しく優しくも強い生命力を感じることができます。 2016年には、台北に拠点を持つAKI Galleryにて初の海外での個展が開催され、3フロア全体を上原の世界観に変換させた展示は、現地においても大きな話題と注目を集めました。2018年のTEZUKAYAMA GALLERYでの個展では、’Deep Forest’をテーマとした作品を展示し、その世界観を色濃く残していきました。 今展は「トドワラ」という北海道、野付半島にある少し異質な場所から着想を得た新作の絵画作品、立体作品で構成します。鑑賞者は、上原の神秘的な世界観を目の当たりにすることができるでしょう。 是非、この機会にご高覧賜りますよう、お願い申し上げます。 [アーティスト・ステートメント] 北海道の東の端に野付半島という少し変わった場所がある。オホーツク海に向かって湾曲しな がら突出する約26kmの細長い砂嘴で、半島を通る一本道の両側には海が迫り遠くに国後島を 臨む。その地に行ったのは4年前のことで、目的は半島の先端部にあるトドワラという場所が見たかったからだ。 湿原の上に立ち枯れたトドマツの残骸が残り、特異な風景を作っているトドワラは「この世の果 て」とも形容される。現在も風化が続き、もうすでに数本の枯れたトドマツが立ち並ぶだけのトドワラは、昔写真で見た光景とは変わっていたが、それでも強く心に残った。 広大な空と海と、ほんの少しの陸地の境界にいた夏の午後を私はきっと忘れないだろう。 昨年はコロナ禍で好きな旅行もほとんどできなかったせいか、昔行った旅先のことを考える時間も多く、トドワラやその周辺の光景のことなど、なんとなくその想いを形にできればと思い続けて いた。 久しぶりに絵を描こうと思った。この文章を書いている時点で未完成だが。 今回展示する作品のすべてがそれに纏わるものではないが、あの日感じた光や風や見た光景を 自分なりに形にできればと思っている。 上原 浩子